留学体験記
永瀬 史章(ドイツ)静岡市
留学期間2006年3月〜2007年2月
飛行機から降りて、ドイツ版新幹線で僕の町まで。すごく不安だったことを思い出す。1人ではなかったものの周りは見知らぬ留学生、ドイツ人ばかり。ホストファミリーと駅で出会えたとき、どんなに喜んだことか。しかし、その喜びもそう長くは続かない。留学生としての生活が始まるのだ。違う家族と外国で一年も過ごすのだ・・・・・
2月、僕のドイツでの生活が始まった。最初の数日間は僕の留学生活において、最も辛かった数日だったと思う。
時差のせいか慣れぬ食事のせいか、到着そうそう風邪をひいた。
人間誰でも風邪をひくと心も弱くなるものである。普段気付かないのはいつも安心した「家」に住んでいるからだ。ドイツの新しい家がそんなすぐに「家」になるはずがない。ホストファミリーも、あの時かなり気を使ったといっていたが、ホームシックだったかもしれない。
風邪も治り到着してすぐ次の月曜日には学校へ行くように言われた。ここからは、すべてが挑戦だった。とりあえず、半年間日本で、学校の勉強の合間を見て、やっていたドイツ語では学校の授業などには歯は立たない。つまり、一日中わけもわからぬまま座っていなければいけなかった。暇だった。どうにかドイツ語を勉強しようといろいろな手を考え出して試みた。単語カード、毎日作文、話す回数を増やす。・・・・。長い間
試行錯誤を繰り返すうちに、多少、授業がわかってきた。特に理系科目は、よく理解できて自信がつくきっかけになった。理系科目は世界共通だ。すごい。このときは、日本での勉強に感謝した。
そんなことをいっても授業全てが完璧にわかるというのはなかったように思う。最初のころはわからないことが苦痛だった。数ヶ月後はわからないことに慣れたという感じである。これは他の留学生も言ってた。自分達の変化をなんとなく感じた。学校は重要な場所だったと思う。たくさんの友達に出会い、多くの単語を学んだ。時には先生と口論もした。休み時間にそこらを歩けば何人もの人が声をかけてくれる。いい学校にきたかなあと思った。
留学生活において一番大切なもの。それはホストファミリーである。日本の家族以外でこれだけ長く一緒に過ごした人達はいない。最初の頃、何もわからない僕に、さまざまな道、ドイツ語、家族でのルール、いろいろなことを説明してくれた。最初の頃は、僕が毎日ドイツ語を聞きに行くので、さぞかし迷惑、大変であっただろう。ドイツ語で多少会話ができるようになってからは討論もしたし、本当にいろいろなことを話し合った。ドイツにいて日中関係について話すことになるとは思わなかった。
フランスや、ドイツのさまざまな町にも連れて行ってもらった。ホストファミリーは旅行が好きだったのだ。そこでもドイツの歴史などを僕のために説明してくれた。博物館にもよく行き、こんなにいろいろなものを一度に見たのは生まれて初めてだった。
僕はドイツで本当に人に恵まれていた、と思う。世話人さん、ホストファミリーの友達、親戚、いい人ばかりだった。ホストファミリーというのは、AFSが決めてしまうもので、相性が合うかどうかはわからない。僕の友達にもファミリーチェンジをした人が何人かいた。僕がホストファミリーとうまくいったのは、思ったことは言うなどといった僕の努力も多少あっただろうが、やはりホストファミリーの力が強かったのではないだろうか。
ここまで触れなかったが僕には3人の新しい兄弟が出来た。1人はいま上海に自分自身留学中である。ホストママが言うには彼が中国に行くとき、僕の助言がかなり彼女と彼を助けたらしい。人に必要とされるというのは、とても嬉しいことだと心から思う。
これで留学の状況として読んでもらえるだろうか・・・・・。あまり自信はないが、とりあえず最後の数日の話をしょうと思う。
1月にはいってから荷物の準備を始めた。あの時は不思議な気持ちだった。自分が後、数日で日本に帰るという感覚がまったくといっていいほどない。自分が荷物を詰めなくてはいけないから帰るということに気付く。結果と結論が逆転した状態だった。そんな中お土産を探しに行き、ホストファミリーにアルバムを作っていた。アルバムを作ってホストファミリーにあげたらどうだ?といったのは僕の世話人さんだった。それから、夜遅くまで起きては、アルバムに書き込む、飾り付ける、の作業を続けた。最後の一週間はそのせいで寝不足だった。しかも金曜にお別れのくせに僕は月曜から毎日泣いてアルバムを作っていると別れが近いことに気付くのだ。出発前日にあげたアルバム。本当に喜んでもらえ、やってよかったと心から思った。そして、出発当日。途中、パンクという映画並みのアクシデントにみまわれつつも無事空港に到着。
そして、お別れ。一年間ありがとう。また、会おうね。という気持ちでいっぱいだった。今、思うとあっという間、夢のようだった一年間。留学の成果は何かと聞かれても僕は、これだよ!とはっきりいえない。はっきりしていることは、それは僕がこの一年を忘れないということ。
〔写真〕AFSの研修会風景です。
1年に3回位ありました。ドイツにいながら世界中から集まった仲間と友達になりました
〔写真〕クリスマスにホストの祖父母のためにホストブラザーとチョコを作っている様子です。何時間も台所にたってがんばりました。
かなりおいしく出来て2人に喜んでもらいました。
〔写真〕ドイツで水泳チームに所属しました。週に1、2回はホストブラザーと一緒に泳ぎました。最終日、特別に賞状やジャージーなどのプレゼントをいただきました。